たゆたふままに

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雌花

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本牧の 浜に広がる 庭を行く 友と集いて 少女のように

みつめてる 先のその先 追いつけば 小さな命 ひそかに振るえて

行く春に 涙とともに 生まれおり 松葉の先の 小さき雌花




2015.4.29.神奈川県横浜市、三溪園にて、
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by yuhu811 | 2015-05-27 16:03 | Comments(4)

半増坊大祭

平林寺のお祭りには植木市も立つ。庭に春一番のお花が欲しくて・・・・、目指すは野草専門の植木屋さん。数年前にここで福寿草を見つけたのだけれど株があまりに大きすぎ、持ち帰るのをためらった。でもね、やっぱり欲しいかなーと市場へ入るや否や!突然の豪雨に見舞われた。目の前は真っ白に・・・軒下は超満員、福寿草はあるのやらないのやら・・・・
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雨は降ったりやんだりで、それでもだんだん晴れてきた。この日、福寿草は見つけられなかったけど、縁あって、違う草々がやってきた。”オモト”に”ミヤコワスレ”に”ゴウダソウ”に”ホトトギス”、ようこそいらっしゃいました。うれしいなー、けど、ちょっと心配でもある。それは枯らすのが得意だからだ。あ、そうだ!これこそ半増坊大権現さまにお願いしよう・・・どうか困るほど、いえそこそこに、繁茂しますように・・・平林寺にまた行かなければ。





2015.4.17.埼玉県新座市平林寺にて、半増坊大権現は静岡県引佐郡にある臨済宗方広寺の鎮守で、摩訶不思議な神通力を持ち、庶民の素朴な悩みも消除するとして崇拝された。明治23年に鎌倉の建長寺の守護神として分祀され、明治27年平林寺に勧請された。毎年、大際には半増坊感応殿で大般若心経600巻などの転読が行われる。
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by yuhu811 | 2015-05-19 14:40 | Comments(0)

「巨岩と花びら」  舟越保武画文集     舟越保武

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大先輩のFさんと、またもや珍問答してしまったと気がついたのはこの本を手にした時だった。・・・・F氏:彫刻家の舟越保武さんはご存知ですか?ワタシ:はい、知ってます。F氏:その方が書いたエッセーがあるんですよ、知ってる?ワタシ:そうなんですか!あの天童荒太さんの本の装丁に使われたりして・・・独特の雰囲気を持った彫刻で・・・作品を観に行ったことありますけど本は知りませんでした。F氏:えぇと長崎の殉教者記念像とかの・・・ワタシ:はい、舟越さん。F氏:ご存じなんですね。その方の本を今読んでいるんですが、これはあなたにピッタリ!きっとあなたの役に立ちますからぜひ読んで・・・・・と薦めていただいた一冊。

Fさんここで白状します。その本を手にしてみるとなんか違う、私の想像していた舟越さんと違うよなーと。ぱらぱらめくると、”聖クララ”に”病醜のダミアン神父”、”たつ子像”って有名だけど舟越さんだったのね、でも・・・ワタシの話した作品と違うし、としばらく考えた。えぇと、フルネーム?はてーなんといったかな?と調べると桂さん、あーそうだった・・・やっぱり違う舟越さんだった。けれどなんか共通するものを感じるのは同じ彫刻家だからなのかな?そこで経歴やら出身地を読んでいるうちに、舟越保武さんは舟越桂さんの父親なのだと知った次第。おぉー大発見!保武さんはよく存じ上げませんで、頓珍漢なお話しました。

さてこの本、みかけはこじんまりとして手になじむ。中身はずっしりと重たい本だった。永遠と一瞬の出合った瞬間を捉えたときの驚きや作品への思い、信仰や親への反発、生きるために労した日々のこと等々が記されている。中でも親への反発からとってしまった自分の言動を回顧する場面は、痛む心がひしひしと伝わってきて涙があふれた。いとつひとつの作品に込める思いというものは、ずっしりと重たい。




画像は、2015.1.2.東京都千代田区にて、
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by yuhu811 | 2015-05-14 14:01 | Comments(0)

「1945年のクリスマス」     ベアテ・シロタ・ゴードン

-日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝-構成文:平岡磨紀子
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日本国憲法草案に携わったのは25人、そのうち女性6人、大学教授や弁護士・法学博士などで構成されていた。日本の民主化、婦人参政権で民主主義とは何かを示す、政治犯の釈放、秘密警察の廃止、労働組合の奨励、農民の解放、教育の自由化、自由かつ責任ある新聞の育成、再び軍国主義にしないこと、がマッカーサーの日本改造計画であった。それをもとに草案を作成した。ユダヤ人女性のベアテ・シロタ・ゴードンさんは、それに携わった人物のひとりである。自伝ではあるのだが、日本国憲法の成り立ちが生々しく語られている。

ベアテは1945年の12月24日、アメリカから日本にやってきた。そのとき22歳だったが、日本に来るのは初めてではなかった。ベアテの両親はキエフ生まれで、父親はピアニスト、リストの再来といわれたレオ・シロタだった。レオ・シロタは山田耕作の招きで東京音楽学校に赴任しており、家族も一緒に来日し日本で暮らしていたからだ。ベアテは5歳から15歳までを東京の赤坂乃木坂で過ごした。その後ベアテは日本を離れるが、1941年に戦争がはじまると、両親は敵性外国人として軽井沢に追いやられる。軽井沢は第三外国人強制疎開地に指定されていたからだ。ベアテは両親の安否が確認できずに過ごすが、戦争が終わりGHQの求人募集に応募して日本にまた来ることができた。両親の安否を確かめたいという気持ちからだったというが、6か国語をあやつれるということもあり”人権に関する課”に所属した。責任者ロウスト中佐は「我々の仕事は新しい民主主義の日本を建設するために、軍国主義時代に要職についていた人物を追放することなんだ。あなたは女性だから、女性の小さな団体を調べて該当する人を探し出してほしい。」といい、ベアテの最初の仕事が始まる。

ベアテは、軍国主義時代の日本で育ったので心配だったという。日本民族の付和雷同的性格、自分から意見を言わない引っ込み思案的な性格、しかも過激なリーダーに魅力を感じる英雄待望的な一面があり、本当に民主主義は根付くのか?心配だからこそ憲法に、女性や子供の権利を饒舌に書いたのだそうだ。一部は手直しされてしまうが、日本国憲法第24条となる。

1946年2/13、GHQの憲法草案が、吉田茂外務大臣と松本烝治国務大臣へ渡されるが、日本国政府は内容に大変ショックを受ける。2/18、日本国政府側が改正案を提出するが、これをのまないと天皇を戦争責任から守れないと門前払いとなる。その後、両者で様々なやり取りがあり、3/6、日本国政府より草案を発表。3/7、新聞のスクープで”戦争放棄の新憲法草案!”と報道される。1946年11月3日、日本国憲法公布。1947年5月3日、憲法施行、憲法記念日となる。

日本国憲法は押し付けられたものだという考えがあるけれど、大きな犠牲を払ったのち、理想に燃える人々から市井の人々にもたらされた思いがけない宝物なのでは?日本は負けたけど平和で自由な社会になった。平和ボケといわれても、社会も心も平和がいいに決まってる。今の憲法のどこが時代に合わないのだろう?憲法は政府を縛るものなのに、その政府が変えようっていうのはどういうこと?戦争放棄も大切だけれど、基本的人権を奪わないでー、男女平等を奪わないでー、やめてー、と、切に願うこの頃です。

その後ベアテさんは僻地の素晴らしい民族芸能を世界に紹介する橋渡しとなった。2012年12月30日没、89歳でした。

<この憲法が宣明自由・権利・および機会は、国民の絶え間ない警戒によって保持されるものである>




画像は、2015.4.2.埼玉県さいたま市にて、
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by yuhu811 | 2015-05-13 16:37 | Comments(0)

面白い樹

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少し間をあけてしまうと、もういいかな・・・ネットで日記、と思ってしまう。書くことが(PCだからタタクだけど・・・)面倒というわけではなくて、今は時間が出来て、紙に書いているからだ。その書いたものは誰かに見せるためのものではないから、時々自分で読み返し、あーそうかーそうだった!なんて面白がったりするもので、まったくの自己満足完結型のものである。けれど自己満足完結型だと完成度が低くなる。完成度が低くなると満足度も低くなる。そこで、たまにはよそ様の目を気にしつつ、つらつらと書く(ぽつぽつとタタク)のは必要だと思い直し、おもむろに書き(タタキ)始めた。こんな面白い樹も見つけちゃったしー、おぅ!こんちは~!




画像は、2015.4.21.東京都新宿区、
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by yuhu811 | 2015-05-12 16:41 | Comments(2)