たゆたふままに

「沈黙」      遠藤周作

a0021110_14574818.jpg

耽読せぬように気を付けてからだいぶ経つけれど、またまた(たぶん)眼精疲労にて(たぶん)頭皮神経痛とやらになった。映画を見、返却が迫る図書館の本をがつがつ読んで、録画しているダウントンアービーをしっかり見たからなのかもしれない。ピリピリとした顎から頭の痛みはちょっとつらかったのだがぽかぽか温めたらよくなった~♪うれしいな、なので映画と絡めて本のきろく。

この本は一昨年の夏に読んだ本なのだけれどよく分からなくて記録放棄していたのだけれど、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙ーサイレンスー」を観てきたのでこの本から記録しておこう。本は大先輩のF氏から「日本二十六聖人」の話を教えていただき、読んでみようと思った。「日本二十六聖人」とは秀吉のキリシタン禁止令により処刑された宣教師6人と20人の日本人信徒のことで、現在その場は西坂公園となり公式巡礼地となっている。まさに遠藤周作の沈黙の舞台となった。

ときは島原の乱が鎮圧されキリシタン禁制が続いていた頃、日本に渡ったキリスト教司祭と隠れながらも信仰を持ち続ける人々が辿った過酷な物語だ。自分自身は信仰するものがなくキリスト教についても理解していないので難解であった。それでも信仰とはなにか、なんども裏切りと思える行動をしそれでも離れて行かないキチジローとはなんなのかを深く考えさせられた。そして先日、スコセッシ監督の沈黙を見れば少しは何かが見えるのではないかと映画館へ出かけたわけである。

ここからは映画の話になる。ネタバレ有りなので要注意!まずは台湾で撮られたという風景が雄大で素晴らしかった。そして窪塚洋介のキチジローはジャストフィットだった。しかし、二か所ばかり興ざめのシーンあり残念。廃村の猫、太りすぎで等間隔に大量にいるというのが不自然、場内が一瞬引いたのが分かったほどだ。本にあのような場面あったかな?真緑のトカゲもなんかな~島原あたりなら住んでいるんだろうか、などと思いなおしたりもしたが・・。で、鑑賞後だけれど、人々の貧しく苦しい暗い暮らしの中で出合った光こそが信仰であったということがよく伝わってきた。残酷な拷問や処刑があっても捨てない信仰心はパライソに行かれると信じていたから?その辺のことは理解不能なのだが信仰を人の尊厳に置き換えてみると分かったことがある。それは心の奥底にあるものは何物にも縛られないし変えられないということだ。なかには生きるために縛られるし変える人もいるけれど、心の奥底は誰にもわからないよなーと。そうか、キチジローってワタシかも?などと考えながら帰宅したのでした。





画像は、2016.2.3.上野東照宮ぼたん苑にて、冬牡丹、






[PR]
by yuhu811 | 2017-02-01 17:08